6月19日の吐き出したい頭の中
ねえ、自分よ。君は一体誰なんだい?
この質問に答えられるようになった時、私は自分の人生を生きることができるようになる気がする。
最近、自分の食べたいものがわからない。
だからといって食事を抜くことはないし、食べたからといって吐くこともない。
下すことはあるけれど。
食べれば美味しいとも感じる。
でも何故かな、心の底からあれが食べたい!これが食べたい!って気持ちが湧いてこないんだ。
あと、美味しかったって記憶だけ残って、どんな風に美味しかったって記憶は残らない。味の記憶が残らない。
原因はわかってる。
スマホを触ってたり、余計な思考に頭を支配されていたりするからだってさ。
今の自分が食事をするのは、美味しいものを食べたいからというより、空腹を満たしたいからというより、この空っぽな心を満たしたいからなんだと思う。
趣味だってそうだ。
それなりのお金をかけて、グッズだって買っているしライブにだっていっている。
だけど、それが自分の生きる活力にはならない。
嫌々仕事をこなして、いつのまにかライブ当日になって、それなりに楽しんで、そしてまた死んだような日常に戻っていく。
今の私は、生きているようでいてまるで生きていない。死んでいるみたいに生きている。
私の自己肯定感はかなり低いだろう。
自分に自信なんてないし、未来に希望を見出せない。
最近は孤独感が本当に凄いし、仕事をしている意味も見出さなければ仕事に行きたくない気持ちが強い。
いざ転職活動を始めてみたものの、次にやりたい仕事なんてわからないし、未知のことに挑戦することがひどく不安でなかなか前に進めない。
極端に言ってしまえば、仕事なんてしたくない。
小学生の頃からそうだ。
私はその当時勉強やイラストを描くことを得意だと思っていた。
しかし、常に私の近く、つまり私の友人たちは私の上を行っていた。
勉強の成績では覚えている限り2位だったし、大好きだった絵を描くことに関してだって、自分よりセンスもあって実際に上手い親友がいた。
そのかつての親友は賞をとって漫画家になった。
母親が何回か話していたことがある。
私の名前の中の一文字である『亜』という時には『二番目』という意味があるのだと。
だから、私は勉強で一番にはならないのだと。
いつもあやのちゃんには勝てず、二番目なのだと。
今、自分の頭の中を覗いていたら一つの母親からの呪いを思い出してしまった。
やっぱり、私はアダルトチルドレンなのだと思う。
決してネグレクトや虐待を受けたわけではない。
世間一般から見れば私の母親はとても出来た人だ。
大学は有名難関の私立大の看護学部出身だし、田舎ではあるが地元の病院で今は副部長を務めている。
朝から夜まで働き詰め、帰宅すれば家事をする。
この人に自分の時間はあったのか。
思い返せばそう思わずにはいられないほど、母親は完璧に母親だった。
他の家ではお母さんは家にいるという子もそれなりにいたと思う。
どれが正しいとか、間違っているとかは考えたことがなかったけれど、私は私の母親を間違った母親だなんて思ったことはなかったし、むしろカッコいいとさえ思っていた。
つい最近まではこの世で一番尊敬する人だった。
だけどね。
自分が置かれた現状を見る限り、私には親からの愛が足りなかったように思える。
母親が私を立派な人間にするため行ってきた躾や教育は、私にとって一部は正しく、そして私の心にトラウマを作ってしまうほど、私には合っていなかった教育だったのかもしれない。
でも、それは仕方のないこと。
母親だって人間なのだ。間違うのだ。
だから、私は自分で現状を打破しなければならない。
自分の孤独とトラウマと向き合い、自分の中にいる内なる幼き日の自分、インナーチャイルドを癒さなければならない。
しかし、それはきっととても辛いこと。
未だにやり方はよくわからないし、こんな文章を書いているまさに今だって、過去を思い出しながら涙が流れてくる。
この孤独で長い夜が明ける日は、いつやってくるのだろうか。
ああ、さっきまで頭の中にあった言葉はどこかへと隠れてしまった。